妻の実家の土地に家を建てた結果|家を建てる最中に感じた不安②

妻の父の発言に不安を感じながらも、
確認申請は無事に完了し、家づくりは少しずつ進んでいきました。

そして、地鎮祭を行うことになりました。

地鎮祭とは、
工事を始める前に土地の神様へ挨拶をし、
これから始まる工事の安全と、
住む人たちの暮らしを祈願する儀式です。

どういうことをするのかは、
YouTubeなどで事前に見ておくのがおすすめです。

正直、私はあまり地鎮祭に乗り気ではありませんでしたが、
近所の方との顔合わせや、
「これから本当に建てる」という区切りとして、
結果的にはやって良かったと感じています。


地鎮祭も終わり、
基礎工事、上棟も順調に進みました。

セキスイハイムはユニット工法で、
工場で作られたユニットを基礎の上に乗せて家を完成させます。

工場でほとんどを施工してくるため、
致命的な施工不良が発生しづらく、
上棟もユニットを一つずつ乗せてボルトで固定していく、
非常にシンプルな工程です。

上棟日には、
土地に対する家の配置や大きさも一目で分かります。


これまで、
家の間取りや外構についての細かい話は、
妻の父にはあまり伝えていませんでした。

正直に言えば、
余計な口出しをされたくなかったからです。

そんなある日、
妻に一本の電話がかかってきました。

「土地の空いている場所があるから、
 そこで孫と畑をやりたい」

その場所は、
私がDIYで人工芝を敷き、
庭として使おうと考えていた場所でした。

妻は電話口で、
「いいんじゃない。楽しそう。」
と答えていました。

その会話を聞いた瞬間、
私は言葉を失いました。

もし畑を作られれば、
朝起きて窓を見ると、
妻の父が庭で作業をしている。

私にとって、それはかなりストレスの大きい生活です。

確かに、土地の名義は妻の父のものです。
ですが、人の家の裏側に自由に出入りするという感覚には、
強い違和感を覚えました。

頭の中には、
以前聞いた「これは私の土地なんだ」という言葉がよぎりました。


そして、妻に対しても、
正直なところ不信感を抱いてしまいました。

「なぜ、この状況が想像できないのか」
「自分が同じ立場でも、同じ返事をするのだろうか」

そんな思いが次々に浮かび、
もしかすると、取り返しのつかない選択をしてしまったのではないか――
そう感じるようになりました。

建築前に感じていた違和感が、
はっきりと「不安」に変わった瞬間でした。


最終的に畑の件については、
私から
「ここは人工芝を敷く予定なので」
と伝え、何もしないことになりました。

ですが、この出来事で、
私はかなりのストレスを感じました。

まとめ|この不安の正体

この出来事で私が強く感じたのは、
「畑をやる・やらない」という話ではありませんでした。

問題だったのは、

  • 私たちの家の使い方について
  • 私に一言も相談がないまま話が進んでいたこと
  • そしてそれを、妻も何の違和感もなく受け入れていたこと

でした。

このとき初めて、

「もしかして私は、
考え方や感覚の違う人たちの中に、
一人だけ入り込んでしまったのではないか」

そんな感覚を覚えました。

話し合えば解決できる問題ではなく、
そもそも話し合うという発想が共有されていない

この構図に気づいてしまったことが、
私にとっては何より大きな不安でした。

家づくりが進むにつれて、
この不安は少しずつ後悔へと変わっていきます。

そして後になって分かることになりますが、
このとき感じた感覚は、決して気のせいではありませんでした。

【次の記事はこちら】
妻の実家の土地に家を建てた結果|建てた後に感じた後悔①

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