妻の実家の土地に家を建てた結果|建てている最中に感じた不安② 〜「庭で孫と畑を……」善意という名の侵食〜

義父の「これは私の土地なんだ」という一言に不安を抱きつつも、確認申請は無事に完了し、家づくりは着実に進んでいきました。

建築中の室内
建築中の室内

地鎮祭を執り行い、基礎工事、そして上棟。セキスイハイムならではのユニット工法により、工場で組まれたユニットが次々と積み重なり、あっという間に「家」の形が見えてきました。

上棟の日、実際にユニットが組まれると、土地に対する家の配置や大きさが一目で分かります。

私はあえて、間取りや外構の詳細は義父に伝えていませんでした。正直に言えば、余計な口出しをされたくなかったからです。

しかし、そんな私のささやかな防衛線を揺るがす出来事が起こりました。

「楽しそう」その一言が、私を追い詰めた

ある日、妻のもとに義父から一本の電話が入りました。

「土地の空いている場所があるから、そこで孫と畑をやりたい」

その場所は、私がDIYで人工芝を敷き、家族だけのプライベートな庭にしようと考えていた場所でした。

電話口で妻は答えました。 「いいんじゃない。楽しそう!」

その会話を聞いた瞬間、私は言葉を失いました。

もしそこに畑を作られたら、朝起きて窓を開けるたび、義父が目の前の庭で作業をしていることになります。それは私にとって、自分のパーソナルスペースを完全に失う、あまりにストレスの大きい生活を意味していました。

土地の名義人と、住む人の境界線

確かに、土地の名義は義父のものです。 ですが、建てた家のすぐ裏側に、他人が(たとえ親族であっても)自由に出入りするという感覚。そこに私は強い違和感を覚えました。

脳裏には、以前聞いた「私の土地なんだ」という言葉が、呪文のようにリピートされていました。

さらにショックだったのは、妻への不信感です。 「なぜ、夫である私に相談もせず即答してしまうのか」 「この状況で私が感じるストレスを、想像できないのか」

取り返しのつかない選択をしてしまったのではないか――。そんな思いが次々と溢れ、建築前に感じていた小さな違和感は、逃げ場のない「確信に近い不安」へと変わっていきました。

まとめ|この不安の正体は「価値観の孤立」

結局、畑の件については私から「人工芝を敷く予定なので」と毅然と伝え、回避することができました。しかし、私の心に刻まれたダメージは消えませんでした。

この出来事で私が強く感じた不安の正体は、以下の2点です。

  1. 私たちの家の使い方について、私への相談がないまま外で話が進んでいたこと
  2. それを妻が「何の違和感もなく」受け入れていたこと

この時初めて、私は気づいてしまったのです。 「自分は、全く価値観や感覚の違う人たちの中に、たった一人で入り込んでしまったのではないか」

話し合えば解決できるというレベルではなく、そもそも「話し合う」という発想すら共有されていない。この孤立無援の構図に気づいたとき、私の足元は再び激しく揺れました。

家づくりが進むにつれて、この不安は少しずつ「後悔」へと姿を変えていくことになります。そして後になって分かりますが、この時に感じた予感は、決して気のせいではありませんでした。

善意という名の「侵食」について

義父の「庭で孫と畑を……」という言葉が、なぜ私にとってこれほど重くのしかかったのか。それは、その言葉が「悪意」から出たものではなかったからです。

悪意があれば、はっきりと「やめてください」と言えます。でも相手は善意です。孫のために、家族のために、と思っているのです。その善意を「迷惑だ」と感じる自分を責める気持ちと、それでもやはり「勝手に計画を立てないでほしい」という気持ちが、ずっと交錯していました。

このような「善意による侵食」は、義実家の土地に家を建てた場合に起こりやすい問題だと思います。「自分の土地だから」という意識が義父母にある限り、境界線は曖昧になりがちです。

情報を開示しなかった、その理由

間取りや外構の詳細を義父に伝えなかったのは、意地悪からではありませんでした。「余計な口出しをされたくない」という防衛本能からです。しかし振り返ると、その「隠す」行為自体が、私がすでに義父に対して心を開いていなかったことを示しています。

信頼関係があれば、「こんな家にします」と自然に話せるはずです。でも私にはそれができなかった。その時点で、すでに何かが壊れていたのかもしれません。

建てている最中に感じた「後戻りできない恐怖」

ユニットが積み重なるたびに、「ああ、もう戻れないんだ」という感覚が強くなっていきました。普通なら、家が形になっていく過程は喜びのはずです。でも私の場合、完成への期待より、完成後の生活への不安の方が大きかった。この感覚は、家を建て終えた今でも、正直なところ消えていません。

この経験から伝えたいこと

振り返ると、家づくりの過程で私が最も欠いていたのは「立ち止まる勇気」でした。何かおかしいと感じても、流れに乗って進んでしまう。周囲の期待に応えようとするあまり、自分の気持ちを後回しにしてしまう。そんな繰り返しが、やがて後悔という形で積み重なっていきました。

妻の実家の土地に家を建てることを検討している方に、一つだけお願いがあります。それは「お金のメリット」だけで決めないでほしい、ということです。土地代がかからないことは確かに大きなメリットです。でも、それと引き換えに何を受け入れることになるのかを、できる限り具体的に想像してから決断してほしいのです。

10年後、20年後の自分が「あの時の選択は正しかった」と思えるように。そのための材料の一つとして、このブログが役立てれば幸いです。読んでいただきありがとうございました。

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妻の実家の土地に家を建てた結果|建てた後に感じた後悔①