妻の実家の土地に家を建てた結果|建てた後に感じた後悔②

家が完成し、新しい生活が始まったといっても、日常はいつも劇的なわけではありません。

朝、目が覚める。朝食をとる。子どもの世話をする。そんなごく当たり前の繰り返しの中に、私の「後悔」の引き金は潜んでいました。

朝の静けさが、唯一の「自分の時間」だった

私はもともと早起きな方です。妻も子どもも、まだぐっすり眠っている朝の時間帯——その静かな一時が、私にとって唯一の「自分だけの時間」でした。

テレビをぼんやり眺めたり、気になっていたYouTubeの動画を見たり。誰かに気を遣わず、ただ好きなことをしてぼーっとする。その時間が、一日の中でいちばん心が落ち着く瞬間でした。

朝の静かな時間

新居に引っ越してからも、その習慣は続けていました。起き抜けにお茶を淹れて、窓の外に広がる朝の景色を眺めながら、ゆっくりと一日を始める。小さなことかもしれませんが、その「ゆとりの時間」が私の精神的な支えになっていたのです。

ある朝、義父が「そこ」にいた

そんなある日の朝のことです。

いつものようにお茶を飲みながらぼんやりと外を眺めていたとき、ふと人の気配を感じました。視線を向けると——義父が歩いていたのです。それも、ちょうど以前に「ここを畑にしようか」という話が出ていた場所を、あたり前のようにゆっくりと。

思わず、手が止まりました。

朝のひとり時間

頭の中でいくつかの言葉が浮かびました。「この土地は義父のものだから、立ち入る権利はある」——そう理解しようとしました。でも、感情はそれを簡単には受け入れてくれませんでした。

私たちが住んでいる場所のすぐ目の前を、断りもなく歩かれるということ。それは論理的には「土地の権利」の問題かもしれませんが、感覚的には限りなく「不法侵入」に近いものでした。自分の家の敷地内にいるのに、見知らぬ視線に晒されているような、あの独特の不快感——それが、その朝から始まりました。

「一度きり」では終わらなかった

もしあれが一度きりの出来事なら、私もやり過ごすことができたかもしれません。しかし、義父の土地への立ち入りはその後も続きました。それどころか、日を追うごとに頻度が増していきました。

家の土地・境界

さらに驚いたのは、ある日気づいたら駐車場に義父の自転車が置かれていたことです。何の断りもなく、我が家の駐車スペースが物置代わりに使われていたのです。しばらくすると自転車だけでなく、農作業の道具や資材なども置かれるようになりました。

「使ってもいいか」の一言があれば、まだ気持ちの整理もできたかもしれません。でも、そういった問いかけは一切ありませんでした。義父にとって、この土地も駐車場も「自分の土地の一部」という感覚なのでしょう。だからこそ、こちらに一言伝えるという発想自体がなかったのだと思います。

朝の「自分の時間」が、奪われていった

問題はそれだけではありませんでした。義父の訪問がいつあるかわからない、という不安が日常に染み込んでいくにつれて、私の「朝の時間」の質が大きく変わっていきました。

以前は、窓の外を眺めながらのんびりとお茶を飲んでいました。でも今は、何となく外が気になって落ち着けない。気配を感じるたびに視線が向いてしまう。お茶の味よりも、外の動きが気になってしまう。

静かだったはずの朝が、いつの間にか「義父がまた来ていないか確認する時間」に変わっていたのです。

私が守りたかった「何者にも邪魔されない一人の時間」——それが、いつしか義父の存在によって侵食されていました。物理的に追い出されたわけではありません。でも、心の中の静けさは確実に失われていたのです。

「この土地に建てたことは、失敗だった」——確信に変わった瞬間

後悔①でも書いたように、家が完成してからも私の中には「本当にこれでよかったのか」という問いが残っていました。しかしそれはまだ、「もしかしたら」という淡い疑念にすぎなかった。

朝の光の中、義父がわが家の土地を歩き回り、駐車場を勝手に使い、私の唯一の安らぎだった時間が少しずつ削られていくのを感じたあの日々——その積み重ねが、かつての「疑念」を「確信」へと変えました。

「この土地で家を建てたことは、失敗だった。」

その言葉が、はじめて心の中でくっきりと形をとった瞬間のことを、今でもはっきりと覚えています。


「プライバシー」は、設計段階から考えるべきだった

今だからこそ言えることですが、義実家に隣接した土地に家を建てる場合、「プライバシーの確保」は設計の段階で真剣に検討すべき最重要課題のひとつです。フェンスや植栽、門扉の位置、窓の向きなど、物理的な「境界」を明確にすることが、精神的な安心にも直結するからです。

私たちの場合、そのような話し合いを十分にしないまま家が完成しました。「隣は義父の土地だから」という漠然とした認識のもとで境界を曖昧にしてしまったことが、こうした問題を生んだ一因だったと思います。

またこれは設計段階での後悔のひとつですが、駐車場の位置を南側にしてしまったことも失敗だったと今では思っています。義実家は北側に隣接していたため、駐車場を北側に配置していれば、少なくとも義父の目線や動線と交わりにくくなっていたはずです。南側に駐車場を設けたことで、日当たりのいい場所が車のスペースになってしまっただけでなく、義父が出入りするたびに視線が届きやすい構造になってしまいました。

外構(フェンス・駐車場・アプローチなど)については、プライバシーと防犯の両面から設計段階でしっかり検討すべきでした。この点については改めて記事にしたいと思います。

「善意の侵害」は、悪意の侵害よりも厄介

義父に悪意はありません。むしろ、草むしりをしたり土地の手入れをしてくれたりと、「家族として良かれと思ってやっている」という気持ちからの行動だったのだと思います。

でも、だからこそ難しい。「やめてください」と言いにくい。正論を言えば傷つける。黙っていれば自分が消耗する——そのどちらも選べないまま、ただ静かに疲弊していくのです。悪意がないからこそ、こちらの傷つきも「わがまま」に見えてしまう。この構造が、義実家隣接の土地に建てることの見えにくいリスクだと思います。

この経験から伝えたいこと

妻の実家の土地に家を建てることを考えている方がいれば、ぜひ一度だけ立ち止まって考えてみてほしいことがあります。それは、「毎日の朝、窓の外に誰かがいても気にならないか」という問いです。

大げさに聞こえるかもしれません。でも、日々の暮らしの満足度は、こうした些細な「安心感」の積み重ねでできています。土地代がかからないというメリットは大きい。でも、それと引き換えに何を失うかを、できる限り具体的に想像してから決断してほしいのです。

このブログに書くことで、私自身も少しずつ整理できています。同じような状況の方に「一人じゃない」と思っていただけたなら、それだけで書いた意味があります。読んでいただきありがとうございました。

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